ぴっつぁー大学留学記/Pitzer College blog🌵

アメリカの大学に進学して感じたことを率直に記録していくブログです

最恐都市?ヨハネスブルグに一か月住んでみた (1)治安について

こんにちは~リコです。最近もうほんと暑いんですよね…自分は今ボツワナにいるんですが、連日最高気温が38℃とかの中、冷房も扇風機もない中生活しています。

ホストファミリーは体が慣れているのか「暑いね~」とか言いながらも平気そうなんですが、温帯気候出身のわたしはそろそろ内臓がモツ煮込みになってしまいそうです…

 

さて、今回は、ヨハネスブルグに住んでいた頃の体験について書いていこうかなと思います。

ヨハネスブルグについて調べると、「世界最大の犯罪都市」だったり「世界一治安の悪い国の首都」だったりいろんな情報が出てくるけど、実際生活してみてどうなの?そんなに危ないの?ということについて、自分の経験を基に書いていこうと思います。

 

〈メモ〉

・本人…Pitzer大学の3年生。留学制度を利用してボツワナ南アフリカに留学してるよ

・この記事の頃には南アフリカヨハネスブルグにホームステイしていたよ

・みんな/友達…一緒に留学してる9人。Pitzer含め色んな大学から来てる。わたし以外全員アメリカ人。

ヨハネスブルグヴィッツ大学で授業を受けているよ

 

住んでいた場所:ソウェト

わたしたちがホームステイしていた場所は、ヨハネスブルグ中心部から少し離れたソウェトと呼ばれるエリアでした。ソウェトの様々なエリアにある家庭に、9人それぞれ違うおうちにステイさせてもらってました。

点線で囲まれた部分がソウェト。ヨハネスブルグの西側にあるよ

水色のスポットが、みんながホームステイしていたおうちを示したものです。オレンジの丸で囲ってあるのがわたしのホストファミリーでした。

引きで見るとこんな感じ。

ヨハネスブルグは全体で言うとここにあります。

ざっくりソウェトの歴史(興味ない人や知ってる人は読み飛ばしてね)

ソウェトは英語だとSowetoと書き、South Western Townshipの頭文字を取ってそう呼ばれるようになったと言われています。

アパルトヘイト政策時代、ボーア人・イギリス人などのマイノリティ白人政権が南アフリカを白人の国と黒人の国として分けようとしたときの非白人強制移住政策の一環として作られた都市です。

当時南アフリカには白人以外には、先住民の黒人、インド系、中華系、そして様々な人種のミックスの人たちが住んでいました。

しかし、白人政権は都市に近い土地を白人の居住区に設定し、都市から遠い郊外の狭い土地を白人以外(主に黒人)の居住区と定め、何万もの非白人たちを強制移住させました。

 

そうして移動させられたときに作られた居住区を「タウンシップ」と呼ぶんだそうです。

ソウェトはそうしたタウンシップでも南アフリカ最大のものであり、面積は138平方キロにもなります。

東京23区が627平方キロなので、23区の1/4弱ものサイズということになります。広い…

当時非白人は不動産の所有や、認められた土地以外に住むことが許されていませんでした。

たくさんの血が流され、大勢の人の努力があって差別的なアパルトヘイトはすべて廃止されましたが、それでも白人の土地の独占の問題や、企業の利権を白人が握っているなどの問題は解決されないままです。

 

まだまだ残る人種隔離の影響

人種隔離の歴史があるソウェトは、法律が撤廃された後も人種のすみわけが非常に強く残っているなと感じました。

近所を歩いていても白人は全く見かけないし、住んでいるのは黒人の人が大半です。

ヨハネスブルグでもサントンなどの高級住宅街に行けば、白人やお金持ちの中国人、駐在の日本人などを見かけますが、ソウェトなどのタウンシップでは見かけるのはほぼ黒人の人たちだけです。

けれど、ソウェトと一口に言っても、様々なエリアがあります。私たちが生活していたのは比較的裕福なエリアでしたが、ソウェトの中でもクリップタウンなどに行くとトタン小屋が立ち並び、電気もガスもないような家が立ち並ぶエリアがあります。

わたしたちが2週間インターンしていたNGOはクリップタウンの孤児院・ユースセンターだったので、そこでの経験もいつか書きたいです。

実際暮らしてみてどうだった?

ソウェトはヨハネスブルグのなかでも、特に危険な場所として認識されているようです。

ボツワナでも南アフリカでも、これからソウェトに行く/ソウェトに住んでいると言うと「ソウェト!?なんで!?」「えーっ絶対やめた方がいいよ!」「危なすぎる!!」と何度も言われました。

そして実際住んでみて、地域の治安が悪いというのはひしひしと感じました。わたしたちが住んでいたエリアでは、どの家にも、鋭いトゲのついたフェンスや塀があり、それにさらに鉄条網が張り巡らされていたり、お金持ちの家だと電気フェンスがつけてあったりしました。

どのドアや窓にもたいてい鉄格子が取り付けてあり、ドアは開閉する鉄格子とドアの二重に防犯する仕組みでした。

大抵どの家でも防犯目的で中~大型犬を飼っていて、10頭近い犬を飼っているおうちもありました。

夜、自分の部屋にいると急に何かが相次いで破裂するような音が聞こえ、家族に今のは何か聞くと「銃声だね」とあっさり言われることもありました。

 

さらに、東アジア人はかなり目立つなとも感じました。サントンなどの高級住宅街に行けば別ですが、その他のエリアでは東アジア人はほぼ見かけませんでした。

都市部を一人で歩いていると、エリアによってはつきまとわれたり、しつこく話しかけられたり、酔っ払い or 何らかの物質でハイになってる人に絡まれたりするので、徒歩で移動するのにはかなり神経を削られました。

しかも、絡んでくる人はほぼほぼ20-50代男性なので、小柄で力もない自分は常にびくびくしていましたが、幸い物を盗られたりしたことはありませんでした。

外国人と一目でわかってしまうとお金を持っていると思われて強盗にあう可能性が高くなるので、複数人で歩くなどしっかり対策が必要だと思います。

ただ、私の周りで何人も「友達といたのにスマホをひったくられたんだって」とか「信号待ちをしてたら窓を割られて強盗にあった」とか、そういう話を聞いていたので、私は本当に運が良かったんだと思います。

 

けれど、結論から言うと、1か月半の中で危ない思いをしたことはありませんでした。ホストファミリーやプログラムディレクターから言われることをちゃんと守っていたのと、さまざまな人たちの助けと、それから単純に運が良かったおかげだと思います。

気をつけるように言われていたことは

スマホを手に持ったまま歩かない(ひったくられるから)

・一人で外出しない

・荷物は肌身離さず持ち歩く

・電気が止まっている間は外出しない

・公共交通機関は使わない

 

また、友達はアメリカの治安の悪い都市と治安はそう大差ない、とも言っていました。アメリカでは銃乱射事件は毎週のように起きているし、その子はシカゴ出身で、シカゴに比べて特段治安が悪いようには感じなかったそうです。

 

下に、ヨハネスブルグで1年ほど働いていた駐在員さんの面白い記事を見つけたので貼っておきます。ここに書かれているような犯罪も起こるよ、だから気を付けてね、と色々な人から注意してもらったおかげでリスクを回避することができたのだと思っています。

結論:犯罪は起きているし、外国人は狙われやすいのでしっかりリスク対策をすることが必要。けどヨハネスブルグにも普通に人が住んでいるし、足を踏み入れたら即殺されるわけでもない。

 

今回の記事ではヨハネスブルグに住むということについていろいろ書いてみましたが、南アフリカの経済・文化の中心地ということもあって、魅力にあふれた都市です。ヨハネスブルグの多文化的で刺激的な側面についても今度書けたらいいな~と思っています。

 

読んでくれてありがとうございました、また次の記事で!

 

 

 

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