10/11 ヨハネスブルグ観光!アパルトヘイト博物館とかに行ってきたよ
みなさんこんにちは!リコです~
最近は日本はもう寒いんですかね?こっちは最近ボツワナに帰り、連日最高気温38度の中、クーラーも扇風機もない中耐えてます…夜寝るときも30度くらいあるのがまじでしんどいです。窓を開けようものなら蚊の大群にぼこぼこにされるし…
まあそれはおいといて、今日は南アフリカ最大の都市!ヨハネスブルグ観光に行ってきたお話です~
〈メモ〉
・本人…Pitzer大学の3年生。留学制度を利用してボツワナと南アフリカに留学してるよ
・この記事の頃には南アフリカのヨハネスブルグにホームステイしていたよ
・みんな/友達…一緒に留学してる9人。Pitzer含め色んな大学から来てる。わたし以外全員アメリカ人。
南アフリカの首都プレトリアから電車で1時間、アフリカ大陸1の人口を誇るヨハネスブルグは、他の都市とは活気も経済の規模も犯罪件数も段違い!常に何かが起こっている経済と文化の中心なのです!
メディアの描き方で、「犯罪都市」とか「最恐都市」みたいなイメージがはちゃめちゃに強いけど、実際にそこに人は住んでいるし、通りを歩いたら身ぐるみはがされるわけでもないし、シカゴ出身の友達が「シカゴの方がよっぽど危ないわ」っていうくらいです。
もちろんコーディネーターさんやホストファミリーの尽力のおかげだし、わたしたちがたまたま運が良かったのかもしれないけど、私の経験からでは、一般に言われているくらい怖がらなくてもよかったよということです。
これについてはまた書きたいな~
今回の記事では、ヨハネスブルグの中でも商業施設や都市部からはやや離れた、ソウェト地区を観光した時の話を書きます。
なぜソウェトかというと、1913年から70年近く少数白人政権によって行われていたアパルトヘイト(人種隔離政策)の戦いの中心地だったからです。
アパルトヘイト自体については、この記事がわかりやすいので興味ある人は読んでみてください~ja.wikipedia.org
ソウェトはsowetoと書き、South Western Townshipの頭文字を取ってこう名付けられたんだそうです。
アパルトヘイトの一環で住居隔離政策が進められたとき、黒人・有色人種を住んでいた土地から無理矢理追い出し、ソウェトを代表するような都市の中心から遠く離れたタウンシップに住まわせた過程で作られた居住区です。
活動家や政治家、そうでない多くの普通の人たちもソウェトで戦い、アパルトヘイト撤廃を訴えていったのでした。
かの有名な初代黒人大統領のネルソン・マンデラ、ノーベル平和賞を受賞したデズモンド・トゥトゥ牧師もソウェト出身です。
今回の観光では、ネルソン・マンデラが昔住んでいた家を訪ねることもできました。
当時白人以外は不動産の所有が認められておらず、みんな政府から家を借りて暮らしていたので、家は思ったよりとても小さく質素でした。
南アフリカ初の黒人大統領になり、アパルトヘイトを終わらせるという偉業を成し遂げたネルソン・マンデラの家は、彼の肖像や彼が獄中で書いた手紙、色々な機関から送られた表彰状、彼が生前使っていた家具などが展示されていました。
家が小さいこともあってそんなにボリュームはないので、がっつり展示を見たい方はアパルトヘイト博物館もおすすめです。
ミサの最中に警察が踏み込んで実弾が発砲され、子供たちが何人も犠牲になった教会にも見学に行きました。
1枚目は黒人の聖母の絵画で、現物はとても大きくて目の前に立つと圧倒されるような気持になりました。
ヘクター・ピーターソン博物館にも行きました。
ヘクター・ピータ-ソンとは写真で腕に抱かれている男の子の名前で、ソウェトで学生蜂起があった際の一番最初の犠牲者と言われています。
彼の名をつけられた博物館には、学生運動や運動で犠牲になった方々の歴史が写真や動画などの豊富な資料で展示されていました。おすすめです。
最後に、アパルトヘイト博物館の観光したんですが・・・ボリュームがすごい!!!この日はトータルで2時間ほどしか時間がなくて、とてもじゃないけど回り切れませんでした。
体感としては2時間半で全体の30%が精一杯という感じ。
写真、動画、実物などめちゃくちゃ展示の見ごたえがあり、後日友達ともう一度行って回り直したくらいです。
アパルトヘイト時代の歴史について学べるのはもちろん、その時代に実際に使われていた銃などの現物が展示されていたり、巨大スクリーンで延々と当時の市民が撮った警察が実弾を発砲する映像が流れているブースがあったり、とにかくすごかったです。
めちゃくちゃおすすめします。
こんな感じで他にも色々周り、たっぷりアパルトヘイト闘争の歴史を学べて大満足でした。ソウェトがどんな街かについてもまた書きたいな
それでは、ここまで読んでくれてありがとう~また次の記事で!